2021/07/04 18:08


なにかを「つくる」ことに対して、人一倍警戒心があります。



神保町でお店をしていたころに遡りますが、

つくることを生業(なりわい)として、真剣に毎日向き合って生きている素晴らしいひとたち とお仕事をさせていただいたからです。







2015年から約3年間
すばらしいひとたちに出逢いました。

ひとにも作品にも恵まれていたために

自身が「つくる」ことへ恐怖心に近いものを抱いていた時期もあったとおもいます。





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家族の中に、「つくる人」がたくさんいる環境で育ちました。



家をつくる

ペンキを塗ってつくる

料理をつくる

裁縫やミシンでつくる





つくることが生きることに直結している家で育ち、自然に昔から興味があったのだとおもいます。



(今おもうと、だからわたしはFESTINA LENTEで すばらしい「つくる人」を探すことができたのかもしれません。)











はてさて そんなこんなで

自分でつくりたいものができたときに、とても苦しくなりました。



それは、自ら勝手に抱いた警戒心のせいでした。

自分はつくってはいけないのではないか.という思考に辿り着き、なんだかこわかったです。





(今はそうはおもっていません。)



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「みんなが作り手

 みんなが売り手」



簡単にものを売ることができるようになった世の中です。「飽和状態」の渦中で、

そうなる前と変わらないことは、「買うひとが選ぶ」ということ。





そんな、まぁ考えてみたら当たり前のことを ふっとおもったときに、警戒心から解き放たれて、もう少し自由でいいのかなとおもえるようになりました。









ここ1、2年の自分の心境をそんなふうに捉えています。





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わたしが作りたいもののルーツに、亡くなった祖母が居ます。

祖母はこぎん刺しの名人でした。こぎん刺しというのは、わたしが生まれた津軽地方で古くから親しまれている刺し子の一種。

祖母は本当に手先が器用なひとで、販売店に頼まれて総刺しを納品するほどの腕前でした。





仕事がていねいなひとでした。

頭がよく、なんでもできる祖母の「つくる」姿





一方わたしは、公私共に国内外で古いものを夢中で集めてきました。





そんな2人の全く違った道をひとつにできるのが、わたしが作りたいもの。









これがわたしの作る理由です。





何かを作っているひとは星の数ほどいて

それぞれに想いやルーツがきっとあるのだろうな。







最初から言っていることなのですが、わたしは作家さんになりたいわけではありません。





身近につくるひとがたくさんいて、つくるひとへのあこがれのようなものはずっと心の中にあったのだと思います。





それは、間違いなくひとつのきっかけです。